The video of the documentary movie is seen.

柳川堀割物語』というドキュメンタリー映画を観た。レンタルビデオショップTSUTAYAのアニメコーナー最上段にあったもの。軽い気持ちで見始めたが、開けてびっくり167分、付録的なインタビューを含めると3時間を超える。ていねいに、しわりじわりと進行する。


1985-6年撮影、1987年の作品で、物語は福岡県柳川市に古くからある民家や商家の裏庭を走る細いローカルな水路、堀割をいかに守ったか、という地域のドキュメンタリー映画であるが、単なる地域に留まらないものがあった。


構成は、ナレーション「日本が貧しかったころ」で始まり、プロローグと十一章、そのなかに時間軸と技術の軸が互いに織り込まれて行く。序章は川もを滑るようにして映像が流れ、水路の点描、利用、暮らしと仕組み、そしてポイントにアニメによる解説が入って、治水方法の理解を助ける。水上を行くようななめらかなカメラワークも見どころである。


中盤から後半にかけて、近世からの歴史と現代の闘いの描写に力が入る。柳川を有する南筑後平野と他の平野の違いは、海がつくった平野である、ということだ。大阪などの平野部は河川が土砂を運んで堆積していった結果できてきたものである。しかし南筑後平野有明海を灌漑して形作られてきた成り立ちをもつ。海と陸の境界が広大で海水と淡水が混じりあう土地柄では、平野としては地盤が豆腐のようにゆるい。


時はさかのぼって1601年、戦国武将田中吉政は、筑後に藩主として入り1609年に没するまで、生産力増強のために治水、利水、干拓の大事業を行なう。近世の農業土木の開始と共に、それに伴うきつい労役。その後の立花藩主返り咲きの後の、川上、川下管轄領地間における水の引き合い合戦と暗黙の合意。その両者と領民の労苦を礎として、独特の土地に繰り返し工夫加え、発達させて出来上がった仕組みが「もたせ」だ。縦に走る2本の本流間を、傾斜に応じて横に堀割を数本つくり、堰による開閉を通じて水を「もたせ」ておくというもの。灌漑や「もたせ」、堀割網システムの完成にかかり守り抜いてきた年月は400年に及ぶ。歳月、人々と技術、物語は次々に掘り起こされていく。


ずっと下って、時は田中角栄内閣による近代化、列島改造計画の真只中。日本の風景が一変しようとしていた。柳川市の水路も例外ではなく、汚染され死に瀕していた。もともと飲み水、生活用水、ため池としての役割を果たしていた「もたせ」の水路網は、汚染に弱い。官民のニーズは、汚れきった水路の再生よりも、臭いものに蓋の方にあった。コンクリート、U字溝、下水道という近代の一般土木への転換である。


そこに待ったをかけたのが、行政の広松伝である。都市下水道係長の内示を受けて新着した広松自身、全国一の堀割地区で育っていた。幼い頃から堀割に慣れ親しみ、その役目をよく知る人物だ。下水道化計画を知った広松は危機感をおぼえ、トップの市長に直訴、説得、市長の理解と共感を得て6ヶ月の猶予をもらった。そこから奮闘が始まった。対案の作成と内外への理解と啓蒙、説得だ。


堀割を無くした場合に予想される事態、歴史の立ち消えによる文化の喪失、自然の破壊、地盤が縮み再整備にかかるコスト、何より本当に街が陥没してなくなってしまう可能性、などを検討した。それをひとりひとり説いて回り、間尺に合わぬと冊子を作り配る。行政内部、各町長、住民に啓蒙、説得していく。広松は「100回の懇談会を開き、ひとりひとりに火を灯して行った」と述べる。


そして初めて堀割を、歴史的、科学的、総合的にとらえた、『河川浄化計画』が提出される。堀割を残す方向での計画だ。内容の柱は3本。河川の整備、汚染の防止・規制、維持管理清掃である。それらの努力のかいあって、すでに決定されていた当初の5カ年計画、総工費20億円という計画は、180度転換することになった。予算は総べて含めても当初の5分の1で収まった。


業者にも水路の再生にため、浚渫(しゅんせつ)、維持、管理という新しい仕事が入る。汚染の防止では各家庭や商店に粉石鹸の使用、浄化槽の取り付けなどの意識改革が求められる。そして浄化計画にある管理・清掃では「わずらわしい付き合い」が住民に求められる。住民は清掃し、再会し、祭りも息を吹き返す。


努力が実って水路、堀割はよみがえる。浚渫工事の途中、堀割の水を抜いた後ヘドロを洗うジェットホースという道具も生まれた。城堀の水を全て抜く「水落ち」という行事の後のにぎわい、子どもたちの歓声、夜には鯉料理パーティ、水天宮への感謝のお祭り。様々な生き物もまた身近になった。心配された台風による大水にもゆるやかに対処出来ていた。そういえば以前、毎朝5時起きて堀割から飲料水を汲むという子どもの仕事と蛇口は、その後どうなったのだろうか。


ナレーションは問いかける。「利水治水一体の大きな知恵と、利水治水を切り離した近代合理主義とでは、どちらが本当の合理主義か」。広松は言う。「人々は歴史を忘れ、わずらわしい付き合いをいやがっていた」、「このままでは蛇口から出る水もやがて飲めなくなる」、「われわれの水に対する考え方を取り戻す必要があるんじゃないでしょうか」と。残念なことに、こう述べた広松伝氏はその後、彼を使える上司が皆無となり、適所を失い、その仕事に就いていないという。


北原白秋の故郷と詩、檀一雄有明の海、田中内閣の列島改造というキーワードとともに、製作年からさらに20年の歳月という、観る者にはその後の記憶が加わって、二重の感慨をおぼえるかもしれない。近代化計画案当時の技術や予算のリアリズムと、技術の転換の境界で、待ったをかけ再考を促し、地域人々と水と未来の時間に耳をかたむけ、共生に向かう新しい方向性を示し行動した行政マンと住民の奮闘記に、何を学ぶべきか。一見をお勧めする。


柳川堀割物語
製作 宮崎駿 脚本/監督 高畑勲 監修/脚本協力 広松伝 
内容の簡単な紹介ページ
http://www.water-e.co.jp/kyukei04/kyu0401.htm
田中吉政への言及ページ
http://snkcda.cool.ne.jp/yosimasa/