戦火で失うもの

以前、民芸運動にも参加した寿岳文章のある文章を目にしたとき、違和感を覚えたことがあった。出典は記憶になく、何かの講義のまた聞きかもしれない。しかしその主旨は、日本の朝鮮侵略に際して「朝鮮の紙が焼かれてしまうと危惧する」という内容であったと、わりあいはっきりしている。当時の私は「危惧するなら、紙の前に人でしょう」と思ったものだ。想像する戦火で失われるのは、子とか家族、人々であった。
しかし仕事をするようになってからもう少し想像力が広がった。自分が深く関わっているもの_仕事や技術、慈しんでいる動物やガーデニングの植物だってそうだろう_の消失には痛みと責任(何らかの能動的行為の)があるのではないかと思うようになった。
たとえばアニメターの高畑勲が高く評価する「鳥獣戯画」。
「国宝絵巻_鳥獣戯画」の解題_奥平英雄によると、

 紅葉で名高い京都栂尾(とがのお)の高山寺には、鳥羽僧正の筆と伝える四巻の国宝絵巻が現存している。国宝指定(昭和二十七年)の名称では「鳥獣人物戯画」とよばれているが、一般のひとびとには「鳥獣戯画」の名でしたしまれている。(中略)
 さてこの絵巻はいまは四巻となっているが、もとから四巻であったのかどうか。これに関しては五巻であったと見る説がおこなわれている。それは丙巻の前半(人物戯画の部)と後半(鳥獣戯画の部)とが主題を異にし、首尾が一貫していないので、もとは別巻であったと見るのである。それがなにかの事情で一巻に接合されたと考えるので、この説に従うと現存の四巻はもとは五巻のものだったことになる。
 そこでこれに関連して、やはり高山寺所蔵の絵巻「華厳縁起」の裏打紙から発見された元亀元年(一五七〇)の古記が注目されている。(本文略)
とあるもので、これによると足利末期の兵乱の際、足軽どものために高山寺の絵巻物がとり散らされ、そのうえ所々で消失したけれども、幸い拾い集めたものがいて、一時当坊に保管することになった旨を記している。この記録により元亀の当時、「獣物絵上中下」と「同類巻二巻」の二種五巻の絵巻が高山寺にあったことがわかる。(P.2-4)

また「芸術の設計_見る/作ることのアプリケーション」のカバーにはこうある。

オヴェターリ礼拝堂の一連のフレスコ画は、最新の遠近技法を大胆かつ精緻に駆使した『聖クリストフォロスの殉教』など、当時わずか20代前半だったマンテーニャの技術的成熟が余すところなく発揮されたルネサンス初期壁画の傑作だった。しかし第2次大戦(1944年)アメリカ軍の爆撃は、この壁画を木っ端微塵に破壊してしまう。近隣の住民たちは親指ほどにも破壊された断片のひとつひとつを丹念に拾い集め50年近くも保存してきた。物質的な修復はほとんど困難だったが、近年まず、その8万個(それでも全体の30パーセント余りである)近く残された断片のすべてがコンピュータに入力され、破壊以前に撮影されていた白黒写真を下地に、デスクトップ上で繋ぎ合わせる作業が進められることになった。この作業に先導され実際の修復作業もはじまり、ようやく2004年にはその過程が一般公開されることになる。カバーは2002年段階の写真。500年を隔てた2つの最新テクノロジーによる制作と復元。(後略)

戦火は人や生き物と日々の暮らし、仕事を焼き尽くす。

○参考文献
「国宝絵巻_鳥獣戯画」 岩崎美術社 1982年第10刷
鳥獣戯画
美の巨人たち」より
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/f_041120.htm
ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E7%8D%A3%E4%BA%BA%E7%89%A9%E6%88%AF%E7%94%BB

「芸術の設計_見る/作ることのアプリケーション」
フィルムアート社 2007年 岡崎乾二郎 編者
http://www.amazon.co.jp/dp/4845907062/module-22