Miscellaneous notes

ホームヘルパーの講議と実習の全課程を終えた。証書が届き、登録も済ませた。

講師は3名、玉石混淆の現場を思わせる内容と質。勉強になった。苦しんだのは、在宅介護の場合の他家への入り方。捨ててきた仕種、マナー、態度を再度拾い集めねばならぬことに。頭の切り替えならぬ身体の切り替えはどうなのか。標準化されているはずなのに、身に付けた時と捨てた時の、曖昧なままの基準を思いだす。家父長制を再度身にまとったようで、身体が混乱気味になる。講議ではノイズと普遍の間の際限ない微分化に苦しんだが、実習は保守的な動作でどんどん済ませた。

またグループホームの施設実習にも行った。戸惑ったことの一つにホーム内での諍いがあった。後期高齢者が中心となって利用している施設だったが、年齢でいえば90歳前後の、戦争に行ったご仁たち。戦場の記憶はなかなか消える事がないらしく、時を超えて継続していた苦しかった思いと上下関係。暴力行為もスローモーションだった。もっと時間があれば、モーレツ社員(?)だったころの話やご家族との思い出話など、うかがうことが出来たのに。軽度の認知症利用者の施設だったが、施錠、室温管理、衛生面など、いわば問題無しが問題に見えてしまって、では何処に行けばいいのかと言われると、やはり対案があるわけでなく、短く途方に暮れた。

途中、宮台真司のいう『日本のリベラル左翼は「ノーマライゼーションの地獄」に鈍感です』(『バックラッシュ』P.070)や、上野千鶴子の『厚労省が考えているのは、…ヘルパー二級免許もしくは一級免許すら廃止して、介護福祉士の国家資格化オンリーを考えているようです』(『生き延びるための思想』P.252)がよく頭をよぎったが、ともかく介護という仕事は、女性の交換価値を高めるのに役立つ、骨太な現場だと思った。

死生観をまた一度、問う機会があってもいい。