上記同書の「『日本の現代思想』3、八〇年代に何が起きたのか 第六講 「ニュー・アカデミズム」の広がり」の中沢新一の論、「密教ポスト構造主義的解釈」の流体土木(流体土木の知識→流体的思考/一般的建築の知識→建築的思考の二項対立のずらし)の技術者としての空海のイメージに触発されて、読む。
『平成のマルチ文化人 空海』頼富本宏著 NHKライブラリー 2005年
 本書では技術者としての空海の記述はわずかだったが、その思想を広めるに至るプロセスとハードルの高さに圧倒されてしまった。

空海 奈良時代末期から平安時代 774-835)
誕生から勉学期→実学儒教教育への失望から山林修行と記憶術 虚空蔵聞持法の修行→親族と世間に、出世を断念して出家し僧となる理由を『三教指帰(さんごうしいき)』=『聾瞽指帰(ろうこしいき)』に著し示す。→31歳ころ留学入唐、恵果和尚からの密教受法→20年の留学期間を2年に縮めての帰国と国内政変による九州での4年間の待機→入京の許しと最澄との交遊と決別→ここからようやく空海密教宣布活動がスタートする。815年ころ、約41歳。

曼陀羅に興味は沸くが、曼陀羅はなぜ描かれたのだろう。