制作メモ

「技巧が集中されて」に心が動いて連想された箇所。

梓人(しじん)の慶(けい)が木の細工をして楽器を吊す木組みの架桁(かけけた)を作った。できてみると[すばらしいもので]、それを見た人々はまるで鬼神が作ったようだと驚いた。魯の殿さまはそれを見ると、慶にむかってたずねた、「そなた、どんな技術でこんなすばらしいものが作れたんだ。」答えていうには、「臣(わたし)は[しがない]細工師です。格別な技術などどうしてありましょう。けれどもこんなことはあります。臣が架桁を作ろうとするときは、いつでも内なる精気を決して傷(そこな)うことのないようにします、必ず精進潔斎して心を落ちつけるのです。三日も潔斎すると、[立派なものを作って]ほうびを貰おうとか官爵や利禄を得ようなどとは思わなくなり、五日のあいだ潔斎すると、世間の評判や出来の善し悪しも気にかからなくなり、七日のあいだ潔斎すると、どっしりと落ちついて自分の手足や肉体のことを忘れてしまいます。さてこうなると、心には公朝(おかみ)の存在もなくなり、その技巧が集中されて外から心を乱すものは消え去るのです。そこで初めて山林のなかに入り、自然本来のありのままの形で架桁を作るのにぴったりという材木をさがし、そのうえで完成された架桁を心に思い画いて、それから初めて手をくだすのです。そうでなければ手をくだしません。つまり[心の]自然なありようで[材木の]自然なありように合わせるのでして、細工ものが神業(かみわざ)にもまぎらわしいとされる理由は、そのためでありましょう。」(P.59)

荘子_第三冊 外篇・雑篇』金谷治 訳注 岩波文庫 青206-3 1996年7月 第20刷発行
達生篇 第十九 十

もともとすべてのものを「なるもの」、つまり「おのずから生成し、変化し、消滅してゆくもの」と見るギリシャ本来の自然的思考にあっては、いわゆる「制作」も「生成」の一ヴァリエーションとみなされ、たとえば彫刻家のもっている「技術」も、そうした生成の原理である「自然」の一変種と見られているのです。たとえば大理石の塊がヴィーナスの像になるのも、やはり「なる」という運動の一様態です。すでに大理石の塊のうちにひそんでいた像が、彫刻家の技術の力を借りて余計な部分を削ぎ落として立ち現れてくると考えられていたのです。「制作」ということを、前にふれた『夢十夜』での漱石の言い方とそっくり同じように考えていたわけです。(P.75)

夏目漱石は「夢十夜」の第六夜のなかで、運慶がどうやってあの彫刻を生み出したのか、その秘訣を、木のなかに埋っている眉や鼻を、鑿(のみ)の力で土のなかから石を掘り出すように掘り出すという言い方で述べています。この考え方は、自然のままを尊び、人為を否定する日本人の芸術観の典型です。しかし、この話は、明治の木にはとうてい仁王は埋っていないことを悟るという皮肉な結末を与えられています。
漱石は鋭敏な芸術家の感性で、西洋化された日本では、かつてもっていた美質である「自然」そのままという芸術が成り立たなくなっていたことを感じ取っていたのではないでしょうか。先駆者として、西洋と東洋という問題に深刻に悩んだ漱石は、明治という時代の味わった変化の本質を、たった一夜の夢として表現したわけです。
ところが、西洋では、漱石が感じ取った変化がすでに遠い昔、古代ギリシャで起こっていたのです。その根本的転換を惹き起こした張本人は、いうまでもなく、ソクラテスプラトンという西洋哲学の始祖です。(P.54-55)

後でふれるように、プラトンに比べるとギリシャ本来の考え方により忠実であろうとしたらしいアリストテレス(前三八四ー二二(?! 384ー322 byウィキ))が、『自然学』の第二巻第一章で、いわゆる「自然によって存在するもの」、たとえば樫の木と、「技術によって存在するもの」、たとえばヴィーナスの像とを対比しながら、つまり樫の木の種子が樫の巨木に生長する運動と、大理石の塊がヴィーナスの像になる運動とを対比しながら、それぞれの運動の原因、つまり「自然」と「技術」がその運動にたいしてもつ関係を見さだめようとしています。彼の考えでは、両者の違いは、「自然によって存在するもの」にあっては、運動の原因である「自然」が運動体である樫の木に内臓されているのに対して、「技術によって存在するもの」にあっては、運動の原因である彫刻家の「技術」が運動体である大理石の塊の外にあるということです。しかし、両者がいずれも「生成するもの」「なるもの」であるには違いないと考えられています。(P.76)

『反哲学入門』木田元 著 新潮社 2007年12月
第二章 古代ギリシャで起こったこと
「自然(フュシス)」と「制作(ポイエーシス)」