・『子どもたちに語るポストモダン』J・F・リオタール(J.-F. Lyotard)_思い出し
(1986年朝日出版社 1998年ちくま学芸文庫
9_抵抗についての注釈(ダヴィド・ロゴザンスキーへ プラハ、1985年6月21日)

 われわれがエクリチュールという契機を回避することができないのなら、その結果もたらされるのは次のようなアポリアだ。たとえ全体主義が勝利をとげ全土を占領したとしても、それはエクリチュールがもつ制御不可能な偶然性を排除してしまわないかぎり、全面的に完成されたとはいえない。したがってぼくが(ほかの人たちの後につづいて)確定しようとしている[エクリチュール]の意味からいうと、全体主義は書かれる[みずからを書く]ことを拒絶しなければならない、ということになる。ところで、書かれていないままにとどまっているなら、それは全的なものだとは言えない。けれどもその反対に、それが書かれよう[みずからを書こう]と求めるなら、それはエクリチュールに対して、少なくとも不安と欠如と<愚かさ>があらわになるような地方を、譲渡しなければならない。そのことを通じて、それは全体性を体現することを、ひいては全体性を制御することさえ、あきらめることになってしまう。(P.148)

・『世界共和国へ』柄谷行人著 岩波新書 2006年2月_読了

・『吉田茂の自問』小倉和夫著 2003年9月_読書中

吉田茂が首相であった1951年当時、講和条約に向けての準備の一つとして、斎藤鎮男氏に日本外交の誤り、戦争を回避できなかった外交上の過誤についての分析と文章を提出させている。
元外務省勤務の筆者の立場と、外交/内政、世界共和国/市民/性差/格差の立場と、国家主権と国民主権/国民/格差の立場、とで読んでみる。
印象深い言葉に、以下があったが、主観的にしか読めていない。詳しくは読まれたし。

 ・第一章 満州事変(1931)、国際連盟脱退(1933)

しかし、日本は、五大国の一つとして常任理事国の地位を占めていた連盟においてすら、世界に貢献する信念と意気込みを持っていなかったのである。
何故そうなったのか。
現実の壁と実際上の利益の前に、理念や信念を常にひっこめてきたからである。(P.64)

 ・第二章 軍縮会議脱退(1934-1936)、日独防共協定締結(1936)

すなわち、日本は歴史的に見て、国際条約は日本を縛る拘束とみなし、それに制約される面ばかりを見るきらいがあるが、条約は、実は相手をも縛っているのであり、相手に与える制約の効果と、こちらの蒙る制約の効果を冷静に計算することが重要である。

 ・第三章 日中戦争(1937)と中国のナショナリズム

一言で云えば、日本にアジア外交は存在しなかったと云っても過言ではない。

 ・終章「過誤」の解剖

外交理念を国際社会に訴えるには、国民レベル(すなわち国内政治上)でのエネルギーを必要とするということである。国内において理念と信条による政治が行なわれていなければ、国際的にアピールできるものが真に生まれてくるはずがない。(P.212)

 ・日本外交の過誤(九)結論
すべて根本が大切
物事を現実的に考えなければならない
フレクシビリティ

戦争を前提とするからこそ、石油も足りない、屑鉄も足りない、ジリ貧だということになる。戦争さえしなければ、生きて行くに不足はなかったはずである。(P.225)

決断力と実行力の重要性

 ・一夜漬けでいいのか参考「日本国との平和条約」_ウィキ
http://ja.wikipedia.org/wiki/

・Basic incomeに賛成です。