記憶としての  大人になって気づいての 言われて気がついての
幼児期の親子(主に母子?)の学習関係(四六時中)

口調はもちろん 身体の動き 動作を真似ることも一つある
全く別の身体が 色々真似て うまくいったり 失敗したりする
共同生活をしていると 似てきてしまい 形作られていく
成長するにつれ ときどき逆転がはじまる
向こうがスムースだったのに こちらが上回る時もある
相手は筋肉質なのに こちらはスジ質だったりする

以前テレビで見た鹿の親子の映像と解説
山みち 車にはねられ 母鹿が足を一本怪我をして
三本足で移動する親鹿の真似をする怪我をしていない子鹿の様子
なぜか度々思い出す

ところがところが
カラスが「カッコウ」と信号機の音を真似るのを
一昨々日聞いてしまった!
さて如何に? まあ ほ乳類ではないのだから

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関川夏央の『昭和時代回想』(集英社文庫 2002)
をペラペラめくっていたら「画家・田畑あきら子が残した言葉」が目に入った。
読んでいくうちに 洲之内徹という人の解説するメモにひきつけられた。
田畑あきら子の 線 イメージし 定着させたかったもの 論。
今の私にはダメであることに気がついた、
もう少し時間を要し 外側(資材性)の強いものでないと。