家出したのは小さかった頃ね
5才か4才か 家にだれもいなかったから ひとりで祖母の家をめざした
大きくなって10キロの道のりって思ってたら4、5キロだった
ひとりで歩いたことはなかったので不安だったけど家にいる心細さよりはましだった
季節はおぼえていないけれど だんだん暑くなってきて
道半ばで大きな女の人に会った
それで女の人が どこへいくのみたいなことをことを聞いて
パイナップルのアイスキャンディーをごちそうになった
10円だった
それが甘くて心地よかったから きっと夏
それで気をつけてね というようなことで見送って
女の人が振り向いて手をふってくれたの
それからまだしばらくてくてく歩いておばあちゃんの家が見えてきた
それで中に入ると兄と祖母とヤギが迎えてくれた
いまでもその大きな女の人はそこの小道にいる
それで その時 家を出たのか 家族を出たのか
いた場所より ましだったから 場所ね

                          • -

イザヤ関連の書物の用語解説に
義、公義:…「まっすぐな」基準を保持できるのは神のみである。 …
とありました。元気を出しましょう。

                          • -

二十代の後半アルバイトをしていたころ、もちろん転々としていたわけで
その勤め先の同僚の女の子たちがよく
「エアコンなかったら生きていけない〜」なんて話していて
エアコンどころか毎朝シャンプーもしていて朝シャンが流行った頃で
「この人たちは将来大丈夫なのかな」って心配になったりしていた。
時はたって八年後、阪神淡路大震災が起こったあと若い女性たちが
スニーカーで移動して水無しシャンプーが売られてリュック背負って
それでも充分に気を配っている様子も見られて、
妙に「なんだ 全然大丈夫!」と、
時も場所もまったく違うんだけれども納得させられたことがあった。