映画

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ歌うケツだけ爆弾!』
名探偵コナン 紺碧の棺(ジョリー・ロジャー)』
ゲゲゲの鬼太郎
『1968年』スガ秀実著を読んで『CASSHERNキャシャーン)』レンタルを見た。
以下同書『1968年』より引用。

第四章
ヴァーチャルな世界のリアルな誕生
1、右翼と左翼の奇妙なコラボレーション---太田竜から村上春樹
「主体」の転換
 この融合(「血と大地」に根ざしたドイツ型ファシズム(ナチズム)と未来派芸術運動の科学テクノロジーに親和的なイタリア・ファシズムという二つの型が、やはりその二面を持っていたスターリニズムをも巻き込んだような「融合」)は第一章で述べたような意味(先進国の同時多発的現象)で、資本主義の脱構築的な力によるものである。この種の融合を今日もっともよく表現しているのが、ハリウッドのSF映画ジャパニメーションと呼ばれる日本のアニメ、あるいはゲームであることからも知られよう。(略)日本におけるもっとも極端な一例は、アニメに原作をあおいでSFXを駆使した映画『キャシャーン』(紀里谷和明監督、〇四年)に見ることができよう。近未来に舞台を設定したその映画では、ハイテク化された都市のみならず、ポストコロニアルなスラム化したアジアの都市、満州帝国らしきファシズム、中世ヨーロッパの騎士道、日本の武士道などが歴史的な序列を欠いて並存している。
 これほど極端ではないにしろ、今日の大衆的なポップカルチャーが、一種の偽史的想像力によって可能になっていることは、少し注意すれば明らかに見てとれる。そして、そのようなことを可能にしているのが、CGをはじめとする複製技術の進歩なのである。
 ワルターベンヤミンは一九三〇年代のそのファシズム批判「複製技術時代の芸術作品」で、写真という複製技術の発明が芸術作品のオリジナルとコピーの序列を破棄し、同等のものとして並列してしまうことを指摘した。しかし、その後の複製技術は歴史と地政学的序列をも破棄するように機能しているのである。もちろん、ポストヒストリカルなそこに「リアル」な今日性が存在することは言うまでもない。(略)
 しかし、現在の問題は、それ以上のことを提起している。
 そのような「伝統」は七〇年代の七・七で徹底的に解体されたはずの当のものであった。にもかかわらず、右翼と左翼のコラボレーションは七〇年以降において、ふたたび顕在化しているのだ。天皇制の「正史」なるもののリアリティーが否定され、偽史の根拠も実証的には完璧に斥けられているはずの時代に、そのことがなぜ「否認」されるかという問題である。「否認」とは、それがないことを知りながら、にもかかわらずその存在に執着するというフェティシズム的な態度のことにほかならない。(P.210-212)