『女人禁制』吉川弘文館 歴史文化ライブラリー 2002年 鈴木正崇
空海密教に関心を持つならバランスをとろうと読み出した『女人禁制』。図書館で借りてもなかなか読み終わらなかった。漢字が多く、仏教的背景への素養がないので読み進めるのが難しい。後半の概念の部分に入ると多少読みやすくなった。女性蔑視の歴史も一様ではないことはこの本で了解したが、それにしても差別の歴史千年を長いと見るのか、短いと見るのか。気になったところを数回に分けて抜粋します。

山と女性
 山の神と女性
  殺生観と血の穢れ
   時代の変遷につれて、平地民がしだいに山地民に対して優位に立つ中で、血についての見方も変化した。狩猟民の山の神は血の忌みにある程度は寛容である。獲物や富を管理し人間に恵みを分け与える山の神にとって、獲物を殺害して生じる血は豊猟の証しで忌避しないし、逆に獲物の一部を捧げる血の供儀も要求した。また、山中に分け入った猟師が山の神のお産に立会って助けたという伝承も多く(柳田、一九九七a)、山の神は一年に一二人の子供を生む、お産を守る神となるなど、出産や性にかかわる言説が語られている。(略)『粉河寺縁起(こかわでらえんぎ)』『日光山縁起』『高野山縁起』など中世に成立した寺社縁起には、動物を追って猟師が山中に入り殺生を犯すが、神仏と出会って帰依し以後は殺生を慎むというものが多い。これは殺生禁断を説く仏教の影響で狩猟や肉食が否定的に扱われて、「殺生罪業」観が広まった状況を反映する。しかし、狩猟民の間、特に東日本では、狩猟に際して狩猟神である諏訪の祓い(すわのはらい)という「業尽有情(ごうじんうじょう)」の呪文を唱えて動物を殺害して成仏させることが功徳を生むという「殺生仏果(せっしょうぶっか)」の正当化の論理が導入され、全国の猟師の間に広まった(千葉、一九六九)。しかし、狩猟行為は正当化できても、狩猟や焼畑から平地の水稲農耕へと生業の比重が移るにつれ、血の力を重視する山地民の狩猟文化は支配的言説ではなくなり、血を穢れとして忌む、「殺生罪業」を不浄視する平地民の農耕文化が優位に立ったと推定される。こうした流れの中で、血の穢れを忌む女人禁制が平地民から提示され、都市の穢れ意識の肥大化や仏教の女性蔑視思想が浸透する中で定着したのであろう。一方、猟師は諏訪の祓いを唱え、獣は人に食べられて往生できると仏教の解釈を読み変え、殺害で血を流す自らの行為を仏に託して正当化し、母なる山の神も血の穢れを嫌わない産神(うぶがみ)として里に顕現するなど、山地民の独特の神仏信仰の中に血の見方も姿を変えて継続した。(P.117-118)