追記

そして、ジョン・ラスキンは『ゆり』の中産階級の聴衆に対して次のように続け、呼びかけられるのである。
女性は祝福を及ぼせるものとしてありながら「皆さまは、これをしようとはなさらないで、反対に苦痛にそっぽをむき、ご自分の敷地やへいや庭園の門のうちに閉じこもり、そのへいや門のむこうには一つの全世界_皆さまがあえてその秘密を解剖する気もなければその煩苦を考量する気もないところの世界_が、存在していることを承知するだけで、満足していらっしゃるのです。」「しかもすぐ隣の人と、この威厳をうち捨てて上席を求めて争うという光景」はわけが分らん光景です、と。
「---王妃たちよ!はたしてこの皆さまのふるさとの国の、丘や楽しい緑林の間では、『狐には穴があり、鳥には巣がある』ことを許しながら、しかも他方、皆さまの都会では、石が皆さまにむかって、われわれ石こそ『人の子』がまくらとすべき唯一のものだ、と叫ぶままにしておいてよいものでしょうか。」

(イエスは、へつらう一律法学者が、ついていきたいというのに対し、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし人の子にはまくらにするところがない」と答える(「マタイ福音書」第八章第二〇節、「ルカ福音書」第九章第五八節)。なお、人の正しい声が黙するとき石が代わって呼ぶという表現は、「ルカ福音書」第一九章第四〇節参照。)
『中公バックス 世界の名著 52 ラスキン モリス』五島茂 責任編集 1995年3月 5版