国立近代美術館での『生命という策略』というシンポジウムに行ってきました。
雪や乗車券の一時紛失というハラハラに見舞われながらも何とか辿り着き、宿題を持ち帰ろうとメモをとってきました。
宿題とは別に、郡司ペギオ・幸夫さんの話や映像を見ながら、二点思い出していた。
先に読んでいた三木成夫著『胎児の世界』(1983年)の

どうもわたしたち日本人は自然の音を左の言語脳で聞くらしい。これは、欧米人が、たとえば虫の音を一種の”雑音”として右の音楽脳で受け止めるのと対照的です。むかしから自然の風物を”語りかける友”として眺めてきた日本人の生理を初めて自然科学的に実証したこの研究は、こころにしみいるような業績ではないでしょうか。
 ここにはもちろん、まだ重大な問題が残されています。その一つは、今日のような社会風潮では何から何まで左脳へ入って、わたしたち日本人の右脳は”干され”はしないかというものですが、ここではただ「左の言語脳においても、象徴語の古い層に概念語の新しい層がおおいかむさり、歴史的に前者が後者に食われつづける」という個人的な作業仮説を提唱するにとどめておきます。
 いまここで問題になってまいりますのは、では、他の民族では、いったいどうなっているのか、ということです。そこで脳の型を、日本にいちばん近い韓国や中国の人たちについて調べたところ、予想に反して、日本人のそれとはまったく違う。韓国人の脳も中国人の脳も完全にヨーロッパ=アメリカ人型になる。それで、世界じゅうの民族を片っ端から調べてみたら、日本人と同じ脳の型がやっと出てきた。それが、なんと、ハワイ、サモア、トンガ、ニュージーランド…、まさにポリネシアだったというわけです。(P.10-11)

それと随分以前に見た多分NHKの教養番組かなにかの戦争犠牲者の映像。
多分 第二次大戦の戦争で片足を失った軍人が、病院であたかもまだ自分の足があるかのように痛みを訴えている、といった解説とベットで横たわる軍人の白黒フィルムの映像。
二つを思い出しながら、最新の内容との想像のラインを引くのであったが、まったく引けそうにない。
足早に日帰りとなりました。