もう四、五年前になるだろうか、教室での話。そのころは絵も工作もまだ区別していなかった。(区別は要望でなされた)。川辺の生き物を描こうと、近くの川にサワガニを求めて探索に出た。天気の良い日には釣り人が数人出ている。結構大きな川で看板には一級河川とある。
一緒に連れ立った男の子は釣りの経験があるらしく、釣り人に近づき川面に突き出している数本のコンクリートの杭などにのって遊んでいた。餌の話をした。「団子にした餌を蒔いて魚を誘き寄せて釣るんだよ」と男の子から教わった。
釣り人が「坊、足すべらさんよう気をつけや。」釣り人は、気遣いながら遊ばせてくれた。そして私に向かって言った。「二年前、あそこのマンションの子が亡くなってなあ」川向こうの孤立したマンションを指した。橋の下の水の浅いところで小学低学年の子が溺れて亡くなったと言うのである。
「最近の子は溺れてる子も助けられんわ。(溺れている子の)上から『だいじょうぶか、おおい』と声をかけて見とるだけだ。助け上げようともせん、大人を呼ぼうともせん。わしが気がついて引き上げた時には手後れでなあ。親御さんはたいそう悲しんでおった。」
絵の生徒さんは泥肌や水の動きを見ている。釣り人は声をかける。「気をつけえや」。
私たちはカニを求めてその場を離れた。

もちろん小学校からは「川に行ってはいけない」と訓示が出ている。
動作や救急救命などという言葉以前のことであるように感じたのを思い出した。

身近な恐ろしいものといえば、昔私の生まれた地方では川に生ゴミを捨てに行く習慣があり、その日も母についてゴミを捨てに行った。母が川まで来て階段を降り、私も後をついて降りていった。川面に階段があたったところで私は足を滑らせ川に落ち溺れかけたのを、母が助けてくれたということがあった。まだ三、四才であろうか。ゴミの収集車が走るようになったのは私が中学に入ったころからだ。それ以前は一灯?缶やドラム缶で焼いたり、川に捨てにいったりしていた。

また引越す前の家には地下室があり、その設計が悪く水が溜まって(隣は水田だもの)、二階の私の部屋の窓の下には、いつも二メートルに及ぶ黒い地下水がたたえていた。

また隣の村にあった祖母の家の蓋のない下水溝(ドブ)が、幼い子どもが落ちて這い上がるには、幅が太く深すぎて恐かった憶えがある。

書きながらつらつらとそんなことを思い出した。