転居にあたっては、蕪村が 句会で門人の几董、月居の句を論評し判定した心を借りるとしようか。

1野分「求得(もとめえ)し 菴に入る夜の 野分哉」月居 とあり、
2「柴の庵ときくは賎しき名なれどもよに頼もしき住居なりけり」西行
3「津の国やこの葦ぶき野分して隙(ひま)こそあれと人に告げばや」藤原光俊が偲ばれる。しかし、
4「豈夫(あにそれ)しかり、豈夫しからんや(『論語』憲問篇)」
(なるほどそうだが、果たしてそうだろうか)と思い直すと、この句は言いおおせていないとの境地。
此の心と唐の心を想起して足りぬと言っている。

      • -

こちらに引越して子どもが生まれ、公園にでかけて知合いになった友だち。
その子そだて仲間から言われて、 びっくりしたことの一つは、
「(会話が)漢字ばっかりですねえ」ということ。
考えてもみなかったので、 意表をつかれてびっくりしました。
そう言えば、女性誌らしい女性誌を読んだことがなかった。
マーガレットやセブンティーンなどといった漫画本から、
若い人たちみたいに女性誌にバトンが渡されることがなかった。
学校を出て友だちと話す内容は、アート関連や政治、あとは文学談議を脇で聞いてみたいな感じ。
アルバイトも沢山したが、コミュニケーションとは言えないものばかり。
だから、すらすらと限りなく話しているお母さん方とその姉妹には興味津々であった。

      • -

それで、
・この身であれば 措置という蓑ありけれど 傾くまえの女の仕事の多し
・身の仕事 何処につかえば 実となるか
・つまり此のくにと彼の国(唐、いまでは欧米)と母数の「家父長制論」だけでは不足で、美について。
・「家父長制論」だけでは湿気ている なぜ仕事をしたいのか 動機
・気遣いの 子の寂しき姿に 仕事はじめ